なぜ今タオイズムなのか


地球温暖化現象が急速に加速され、人類の未来への道はどこへ進んだらよいのか、世界の人々は今こそ真剣に考えています。 日本では3.11の大震災以降、これから近い将来に起こるであろう南海トラフ巨大地震など、大きな災害などの予測や情報がつづき、このところの局所的な大雨や竜巻などのこれまでに経験したことのない、大きな自然現象による災害が発生する中で、私たち日本人はどのように強く生きぬいていくか、腹を決めて時代を乗り越えてゆく覚悟が必要となっています。

そして人間が現代科学、文化の発展とともに、自然とともに生きることを忘れてしまっていたことへの、警鐘が鳴らされています。今、この地球温暖化現象、日々起こる天災、そして自然破壊による食料やエネルギーの不足について人類未来の不安を解消する道は、まさに「道TAO」なのです。
私たち人類は、この天地自然に添って、無為自然に生かされるという、道TAOの生き方を今一度思い出し、学び、実践する必要に迫られているのです。

日本に伝わるタオイズム

日本は古代より中国大陸の文化を、朝鮮半島を経由して、また遣隋使、遣唐使などの直接交流によって学んできました。そして、このタオイズムはそうした文化交流の中で脈々と伝わってきていたのです。
『老子道徳経』は、おそらく奈良時代には日本に伝わってきていたのであろうと考えられますが、儒教や仏教とあわせてこの無為自然のタオイズムの思想は伝わり、また江戸時代には「老子」「荘子」の思想が最も多く庶民にも読まれるようになりました。

日本人が長い歴史のなかで学んできた無為自然に、水のように天地自然の中で生かされるという、タオイズムの生き方です。そうした思想や養生についての書物が、江戸時代にも多く出版され、それらを紐解くことにより日本人がいかに中国大陸の文化文明に多くを学んできたかということが明らかになります。

日本には道教の寺である道観が無かったといわれてきましたが、『長崎先民傳』(盧千里著、文政2年、1819年)には、神道の修業者だった大江宏隆が、長崎の田上に崇元観という道観を開いて晩年修養していたという記録があります。また、長崎県大村市福重でも、道看(道観と同じ意味)と書かれた石碑とともに「陽林」「陽白」「三伯」など、タオイズムを連想させる文字が刻まれた古い自然石が残っており、大変古い時代に、ここに道観があったのではないかと言われ、その検証が始められています。

日本の道教といわれ、最もその修行や考え方が道教に近い山岳修業開祖の役行者が生まれた葛城山の寺では、聖徳太子が受容した日本の奈良時代の仏教は、純粋な仏教だけでなく道教も儒教もあわせて伝わっていたということをはっきりと認識されている事実を寺のご住職に伺い、また、奈良に最初に仏教が伝わった寺といわれる元興寺(前身は法興寺。平城京遷都とともに寺名を元興寺に改める)では仏教の仏像とともに、道教の地獄の神々である 泰山符君などの十王が、仏教の仏像とともに仲良く奉られておりました。

また、日本タオイズム協会の本拠地である、福岡県の東峰村から登った日本の修験道の三大名山といわれる英彦山の山頂にある英彦山神宮の高千穂秀敏宮司も、この山は神道、仏教、修験道だけでは解明のできない多くの石像や石碑があり、それらを調べれば調べるほど、道教が色濃く残っている、とはっきりおっしゃっておられました。


老子のとき来(きた)る

そして、最近ではテレビ番組で「老子」がたびたび取り上げられたり、雑誌や新聞等で「老子」・道教・修験道といった言葉もよく目にするようになり、また「老子」や「荘子」に関する出版物も増えて、日本人のタオイズムヘの認識が急速に目覚め始めている気配を感じます。

本場中国でも、『老子道徳経』を中心としてタオの無為自然・養生の思想は非常に求められています。急激なる経済発展のなかで、本場の中国の人たちが生みだし守ってきたこのタオイズムを新鮮な気持ちで受け入れ、今一度世界の人たちとともに掘り起こし学ぶことは、人類未来の新たなる道を拓くことに繋がるでしょう。

一般財団法人日本タオイズム協会





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